前回は戦地における美談でしたが、関連したお話しをしたいと思います。
私はいろんなスピリチュアルな体験を重ねてきましたが、最初にそうしたご縁をいただけたのが、神道系の世界でした。
17才の頃、東京の大塚駅前で声をかけられ、その教団のチラシをもらい、それが妙に気になり捨てられず、とうとうそのアドレスにある拠点を訪ねて行きました。上野駅のすぐ近くでした。
ザンバラ髪の若者が誰の紹介もなく入って来たので、教団の人は多分気味悪かったと思います。
しかし幹部の若い導士とされる方が、親切丁寧に対応してくださり、初めての施術を受けました。
それから40年以上も歳月が流れ、私は30年以上もその教団から離れていて、復帰を許されてみると、なんとその方が3代目の教主となられていました。
毎月全国の会員さんにお話しをされ、機関誌にも掲載されます。私もできれば毎月でも参加してお話しをお聞きしたいところですが、今のところ叶わないので、その中から大変心に残る表題にふさわしい一部をご紹介します。
この教主さまのお弟子さんの体験談です。
このお弟子さんは、以前は遠洋漁業の乗組員をされていたそうです。
普通の職場であれば、拠点に行くことができますが、何ヶ月も乗船していれば、それもできません。
しかし熱心に教義にいそしみ、家族も入信されました。
そんなある日、ペルー沖合の夜間のサメ漁作業時、あろうことか海に転落してしまったそうです。
夜の冷たい海に落ちれば大半が心臓麻痺で亡くなり、死体も上がらないとされますが、(サメ漁ってことは、サメがいるんですよね)彼は何とか救命浮輪にしがみつき、仲間はサーチライトを照らすのですが、暗い夜のため中々見つかりません。
もうこれまでかと思った時に、不思議に彼の心は落ち着き、神道でいうところの祝詞を唱え、施術の基本である手かざしをしたそうです。
するとなんとその手の平にサーチライトの光が当たり、発見され救助されたという事です。
九死に一生を得た彼は、現在教団幹部として奉斎のお仕事をされているそうです。
何もかも終わるかもしれない生死の境で、自分が助かりたいだけの人であったなら、取り乱し、もがき苦しむだけで終わるのではないでしょうか?
助けを求め、わめき叫んで、あげく報われなくて、周囲に逆うらみさえ抱いて落ちていくのです。
しかし人は、魂の選択ができます。
この方は、最後に光の側に向いていくことを、魂が選択したのでしょう。
すると、
絶体絶命の窮地さえ、好機に変えてしまうは、み親の救世救済神。
み力ふるいて救いたまえり。
サトれば末代までの宝。
救世済民のゲートは、まだ開かれています。
ただ、「神の愛の残り火」の状態とも言われています。
それが消えてしまうと、この地球は生命エネルギーが断たれてしまい、亡霊のみが漂う世界となってしまうそうです。
人々の(あなたの)魂の選択次第で世界は変わる。
研修会は来月も開催、体験会は随時お申し込みを。