かなり重いタイトルですが、スピ的には当たり前というか、なんとなくでも覚悟できている人にとっては当たり前ですが、自分はお客様的な気持ちで、訪れてくる人にとっては、予想外の待遇に思うそうです。
以前伊豆の方で開かれたヨガ研修に泊まりがけて行ったことがありました。
当然食事が出た訳ですが、薄い玄米スープみたいなものに、おしんこがつくぐらいの、いわゆる粗食で、会のリーダーが、修行目的な世界なのでと、かなり熱のこもったいい訳をしていました。中に文句を言う人がいたらしいです。
アメリカで行われるビジョンクエストというミステリスクールでは最後の卒業試験みたいな野外体験会と言ったらいいのか、そんな自己覚醒コースがあります。
参加希望者たちは我こそはと期待して出発の地点に集まってくる訳ですが、肝心のお迎えのバスが定刻を過ぎても来ないそうです。
なんの理由も連絡もなし。
だんだん不安が昂じて来て、何人かの人は怒って帰ったそうです。
すると待ちくたびれた頃にようやくバスが来てスタッフたちは別にいい訳するのでもないので、さすがに文句を言うと、
「いいんだ、いいんだ。これくらいで諦めるような人間はどうせ最後までもたないさ」
と、平気な顔。残った人達を会場まで送り始めた時、初めてこれが最初の試練、自分たちは、おそらく最初のテストを通ったらしい、とその参加者は気づいたそうです。
古神道の師弟の関係も同じく、見どころのあるお弟子さんほど、師から理不尽な待遇を受けたりします。
いくらなんでもそんな無茶ないだろう位な仕打ちをうけて、普通なら怒り出す一歩手前で、はっと気づくそうです。もしかしたら、これが最後のオタメシなのかも、と。
案の定 感謝で試練を乗り越えた翌日には席順が変えられて、弟子仲間では最高の上座に座ることになった話し、聞かせてもらったことがあります。
クンルンネイゴンの日本を代表する継承者の一人カンさんは、目隠しされて秘密の修行場まで連れて行かれたと言ってました。
目隠しされただけでも怖いのに、どれほど不安か知れません。
私がたまに依頼受けて行うセッションも、人生の根幹から変容を促すような内容のものが、あります。
途中で思いとどまる余地を与えることも仕組まれています。不安に負けてやっぱりやめます、は、実は多いに 有りです。
どこかのスピ会場でもありました。
空間をシールドして準備していき、最後の段階に入る前に、本人に許可を下さいとやるわけなんです、が、やっぱり今回はワタシやめときます、の人が出ます。
金額はリーズナブルですが、中身はエーテリックサージャリー(霊的外科科手術)だったりもするので。
潜在意識がまだその段階ではないと知らせるのかもしれません。
だったら、それでいいのです。